旗~鉄砲組~長柄組~騎馬隊~士大将~弓組~小荷駄
の順番で組まれたものの他に
旗~鉄砲組~長柄組~弓組~士大将~騎馬隊~小荷駄
の例もある(後者から弓組を除いた備も存在する)。
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これは後方の小荷駄を何で(前者は弓組、後者は騎馬隊)護衛するかによって異なるものと考えられる。備の隊列順は概ね戦闘隊形(陣立)に組みやすい順で組まれるが、細部は編成する各大名によって異なるものであり、これは戦闘隊形においても同様である
戦闘隊形は陣立ともいい、合戦に際して行軍隊形から敵との戦闘に備え、各隊を配置する。
備の戦闘隊形は西洋のテルシオやマウリッツなどの陣形と異なり厳密な操典はなく又、密集隊形を採らずに各部隊を一列横隊(場合によっては二列)ごとに並べるもので、その配置も戦況に伴い頻繁に変更を行った。但し、各足軽部隊を前線に、騎馬武者隊を後方に置き、前者で戦線を形成し、それを後者で突破するというのは基本であった様である[2]。
これにより備は同時代における西洋の戦闘隊形に較べ高い機動力と地形に対する適応力を持ち、複雑な地形での機動や備単位での迂回、行軍隊形から戦闘隊形への即座転換などをこなす事ができるが、正面衝力は大きく劣る。
また、備単体では魚鱗や鶴翼の様な陣形はあまり重視されない。これら陣形は基本的に備以上の部隊配置に反映される。江戸時代の軍学書には備単体での陣形の組み方を示したものがあるが、実際に合戦が行われた戦国時代から江戸時代初期には足軽の過半が動員兵で占められており、その様な複雑な陣形を無理に維持する事は機動力を失わせる事になり、現実的ではない。
合戦を描いた戦国合戦図屏風より、陣立がある程度確認できる岩国歴史博物館所蔵、川中島合戦図屏風の武田信玄本陣備(左図)と福岡市博物館所蔵、関ヶ原合戦図屏風[3]の徳川家康本陣備(右図)を、一般的な備(戦闘前)を模式図化したものである。因みにの徳川家康本陣備は中央に描かれていた単独の備である酒井左衛門尉備を除外し、家康直属部隊のみを示した